街かどに立つ標柱を探してみよう!
江戸時代、この一帯には盛岡藩の銅蔵や大豆蔵、野辺地の商人の土蔵や板蔵があったことから蔵町と呼ばれています。蔵に納められた大豆・鰯しめ粕、銅などの南部領内の産物は、北前船によって大坂や北陸などの日本海航路上の湊に運ばれていきました。