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観光・特産品

町指定文化財

1.浜町の常夜燈 【町指定史跡】
   文政10年(1827)に建てられ、盛岡藩の日本海航路への窓口として賑わった野辺地湊へ夜間入港する船への目印として、旧暦3月10日から10月10日までの間、毎晩火が灯されていました。
 この常夜燈を建てた施主は、野辺地の廻船問屋野村治三郎、運送にあたった世話人は関西の船主橘屋吉五郎です。現在も野辺地湊跡にあり、その当時の湊の面影を伝えています。
浜町の常夜燈

2.客船帳 【町指定有形文化財】
   江戸時代の野辺地湊からは盛岡藩の銅・大豆・肥料とした鰯の〆粕などが積み出され、塩・木綿・日用雑貨などを積んだ多くの船が入湊していました。
 この客船帳は、船宿を営んでいた五十嵐家が扱った船を江戸時代から明治初期まで代々書き継いできたものです。野辺地湊に来航した船の船籍や積荷などを具体的に示す貴重な史料です。
客船帳

3.花鳥号銅像 【町指定有形文化財】
   明治9年(1876)の明治天皇の東北巡幸にお供し、野辺地で倒れた名馬「花鳥」は常光寺に葬られました。その後、昭和4年に花鳥号の等身大の銅像が愛宕公園に建てられ、現在は公園のシンボル的な存在となっています。 芸術性が高く評価されているこの銅像の制作者は、「馬の彫刻家」として知られる伊藤國男氏です。その生涯を馬像の制作にささげましたが、戦前に制作された等身大の馬像で現存するものは数少なく貴重です。 
花鳥号銅像

4.松尾芭蕉句碑 【町指定有形文化財】
   松尾芭蕉を尊敬する野辺地の俳人たちによって、文政12年(1829)に愛宕山に建てられた石碑です。「花ざかり山は日ごろの朝ぼらけ」の句は、芭蕉が貞享5年(1688)に桜の名所吉野山で詠んだものです。
 碑の裏面には「東奥野辺地社中」とあります。江戸時代に始まる俳諧の伝統は明治以降も引き継がれ、明治36年には青森県内初の俳句同人誌『菅菰』が創刊されています。
松尾芭蕉句碑

5.エドヒガン 【町指定天然記念物】
   愛宕公園にある樹齢300年と推定される桜です。樹高は約18m、幹の太さは約5.5mあります。この種は長寿の木として知られ、本州、四国、九州、韓国南部など広く分布していますが、東北地方北部には数が少なく、当地のエドヒガンが北限と思われます。
エドヒガン

6.最上徳内書状 【町指定有形文化財】 
 
 最上徳内は、江戸時代の北方探検の先駆者で、ウルップ島やカラフトなど計9回も蝦夷地(北海道)を探検したことで知られています。天明8年(1834)に最上徳内は単身で蝦夷地を探検しようとしますが、松前藩に入国を拒否されやむなく引き返し野辺地に滞在しました。その翌年に廻船問屋嶋屋清吉の妹ふでと結婚しています。
 書状は文化2年(1805)から天保5年(1834)までの間、江戸から嶋屋家にあてた8通で、最上徳内の後半生の状況を知ることのできる貴重な史料です。また、妻ふでが実家にあてた書状2通も貴重な関係史料であり附指定となっています。
※最上徳内書状一通と妻ふで書状一通は歴史民俗資料館に展示しています。
 
 
 
7. 花鳥号碑 【町指定有形文化財】
     
 明治天皇奥羽巡幸の際、野辺地で倒れ常光寺に葬られた御料馬「花鳥」の死をとむらう石碑です。埋葬地に明治11年(1878)に建てられました。石碑には「御馬を瘞(うず)むる銘」とあり、記された漢詩と書は明治期を代表する書家・漢詩人である長三洲の作品です。三洲筆の習字本は、小学校の教科書として使用されていました。 花鳥号碑  
     
 
●史跡・文化財に関するお問合せ先
野辺地町立歴史民俗資料館(電話 0175−64−9494)
 
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